■ディスコ SOULやROCK以外にDISCOというダンス専門のジャンルがあります 80年代になってから「HI-NRG.」や「EURO BEAT」「CLUB DISCO」「HOUSE」といった より趣向分けされ進化したジャンルに受け継がれています 当サーファー時代ではこれらの原型である「70年代後期のDISCOミュージック」と 80年代初期の「HI-NRG.」までを取り上げさせていただきます ジャンルに無関心な方はDISCOで流れる音楽全てをこのジャンルに 押し込めてしまっている風潮があるようですがそれは違います ディスコという場でオンエアし踊ってこそ活かされる専門ジャンルがあるのです NYでは主にチカーノ達のアレンジによるラテンミュージックからの変形が多いようで 日本ではディスコというとブラックミュージックにロックやユーロポップが 便乗したようなイメージが強くありましたが いかにその当時海外からの情報が乏しく国内で適当に扱われていたか ネットの一般普及によって見破られてしまいました 白人達のカントリー&ウエスタンミュージックが変化したものや 黒人のジャズ、ゴスペルが融合変化したものもあります 各地の風土や地元に密着した放送局が基盤にあり 日本の環境では計り知れれないディスコ音楽事情があるようです まあ70年後期のディスコミュージック最盛に至るまで 紆余曲折、試行錯誤あったと思われます 一流のスタジオミュージシャン達が携わり フォームが完成されてからのディスコミュージックが 私達世代の知る名曲揃いの時期であります 更に奥深い歴史を追及されたい方はご自身で探求願います 有名なPOPSや映画音楽をアレンジしたものなども多々あり 非常に踊りやすくビギナーにも馴染みやすい作りになっています 70年代中期最盛期だったフィリー系のダンスナンバーの流れや ミュンヘン系を代表としたヨーロッパ産のダンスナンバーが軸となって 当時のNYのDISCO界を盛り上げていました 中でも70年代後期の「STUDIO54」でプレイされた選曲は 今でも熱く語られるDISCOミュージックの殿堂です 同じ時期に「PARADISE GARAGE」という伝説のお店がありましたが 当時日本では「GARAGE」という選曲意識は殆んど皆無で 海の向こうの知られざる遠い存在でありました 80年代の終わりから急激に「GARAGE」の情報が流れ込み 教則本や手引書などが溢れ信奉するクラバー世代が今も多いです しかし私達世代にとっては「STUDIO54」こそがカリスマのディスコでありました さてこの時代海を越えて沢山のDISCOミュージックが入って来たわけですが 日本では数多くの7”シングルがリリースされ売れ捲くっていました サーファーディスコの例外曲として この時代最盛期だった「ジンギスカン」に代表されるような 超ビギナー向けヨーロッパ産DISCO曲は 趣向の違いとしてオンエアしませんでした またミュンヘン系やアッパー系のDISCOサウンドを 全て「竹の子」や「歌舞伎町(オカマ)」として忌み嫌う人がいるようですが それは個人的偏見以外の何ものでもありません 70年代後期という時代を実際にダンスフロアで踊ったかどうかで このジャンルに対しての思い入れ度は大きく変わります DISCOを語る上で絶対にハズせない重要なジャンルなのであります
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☆初期のHI-NRG.(ハイエナジー) 80年代に入ってからDISCO音楽事情が大きく変わってきました あれだけ最盛を極めた従来のDISCOミュージックは廃れてしまい 代わってHI-NRG.と呼ばれるデジタル楽器を駆使した DISCOミュージックが大挙リリースされディスコチャートを 賑わすようになってきたのです イギリスのヒットチャート誌から名の由来が来ているようです アメリカではサンフランシスコやN.Y.のアングラ系クラブで人気のようでした 初期のモビーディック、プリズム、メガトン、ヴァンガードレーベルなどが早くから HI-NRG.系のダンスミュージックをリリースしていました こちらも12”が主力でREMIXされたモノは抜群の完成度を誇っていました 因みに後のEURO BEATとは似て非なるものです 混同されないように願います ※サーファー時代としましては83年までがギリギリのご紹介ラインです
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