◆BLACK系MUSICのコーナー 時のBLACK・DISCO代表であった「JESPA」「QUEUE」などに 次いでもっとも多くオンエアされていたのがこのジャンルです ブラコンと称された「CONTEMPORARY SOUL」や「FUNK」 RAPの元祖である「OLD SCHOOL」 OLD SCHOOLが進化し大ムーブメントとなった「HIP-HOP RAP」 BREAK DANCEのフェイバリットとなった「ELECTRIC FUNK」 これらのジャンルをサーファー時代限定でピックアップしてみました 因みに現代のクラブ等でレアグルーブ扱いされプレイているような アフリカンミュージックは当時のディスコではオンエアしていません 耳の肥えたお客がマニアックな音を求めて行く現代のクラブと サーファー時代のディスコとでは 営業形態も選曲スタイルもお客の嗜好も異なっています 現代のDJ選曲志向やレコード流通事情とは比較されないように願います 「RICHARD JON. SMITH」「ALTON EDWARDS」「BILLY OCEAN」といった アフリカ出身のアーバンシンガーは省きます 「OSIIBISA」も同じ(。-`ω´-) 重箱の角突付かんといて アフリカンもブラックミュージックには違いありませんが ジャンルとしてはワールドミュージックの部類ではないでしょうか |
■見たいところへダイレクトジャンプします■ OLD SCHOO RAP EARLY HIP-HOP RAP ELEKTRIC FUNK P-FUNK |
☆BLACK CONTEMPORARY このカテゴリーにつきましては深い説明は不要かと思いますが 念の為に軽くお話しときます ブラックミュージックならばシンガーもファンク系バンドも全て含まれます 1980年くらいからオシャレな歌詞内容に洗練され新しい音作りに 方向性を示されたのがこの「ブラコン」というムーブメントです 当時の先駆け的な作品が「OFF THE WALL/MICHAEL JACKSON」'79 ブラコンはサーファー世代人の誰もが愛着を感じた文化の要でありました ディスコは勿論サーファー系のパブやレストラン 波乗りやドライブでのカーステなどAOR同様生活に密着していたものです この時期にデビューし旬になったミュージシャンもいれば サーファー時代以前から活躍されているミュージシャン達は このムーブメントで路線変更余儀なくされ生き残り必死であったのです ※当時のストックアイテムですが一般的知名度があるモノは敢えて外しました 洋楽ヒットチャートやベストヒット等とは選考基準が全く違います
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★FUNK 最初にお断りしておきますが飽くまでもサーファー期ディスコオンエアのFUNKが対象です 現代では「FUNK」という概念が当時のソレとは異なってきています リリース当時を知らない後聴きやRARE GROOVEなどのクラバー世代の価値観は 私達の知っているFUNKとはかなり違っています 売り込み解説や寸評にそそられてCD買ってみたけれど・・・ 「何か違う。。。」とガッカリさせられた方も多いと思われます 私達の時代では「FUNK」といえば 踊り捲くっていたいた頃の 「ZAPP」「SLAVE」「FREEDOM」「CAMEO」「CON FUNK SHUN」「BAR-KAYS」 といった面々の路線を連想するわけですが 今では「FUNK」と一言にいいましても 世代、趣向、受け手によって異なっているのが現代なのであります 煮え切らないデジタルトラックや消化不良な演奏 HIP-HOPの影響をモロに被った音作り いつの時代のものとも知れないドーナッツ盤音源だったりと レアトラックやネタモノへと向いている方向性と私達の求める音は違うのです 昔のアーティストの新録新譜に当時の音を求めているわけでもありません 私達が実際聴いて踊った「サーファー時代の感性」を表現したいのです 時代は変わり聴く人間の評価や価値観も変わっていますが レコードは当時のままで音を奏でてくれます せめて本HPではサーファー時代の同期生に優しく お互いに当時の雰囲気で通じ合えるように ディスコとしてのダンスアイテム(踊れる)を基準とし この時代の形態ありのままを表現して行くつもりです それでは以上の内容を踏まえましてサーファー時代のFUNKを振り返ります FUNKはブラコンと並行して人気の高いジャンルでした 数々のサーファーダンスのフェイバリット曲にもなっている主力のジャンルであったのです 大衆化された80年代にヒット曲が集中してしまった事により 80'sになってからのFUNKばかりがサーファー時代の代表のように 取り沙汰されているようですがそれは偏った見解です 70年代後期のFUNKを語らずにサーファー時代はあり得ません まずは70年代後期から簡単に考察しますと 70年代から80年代へと大きく音楽スタイルを様変わりさせ 大成功したFUNKグループがありました 79年の後半にリリースされた「LADIES NIGHT/KOOL & THE GANG」が この変革を成し遂げた代表といえるでしょう たったの1年間の違いと思われる方もいるでしょうが ブラコンムーブメントの起こったこの時期の変革は大きなものであったのです 80年代のブラコンの流れに沿ったFUNKミュージシャン達の中で 一番のリストラ被害を受けたのがホーンセクションの面々で 70年代の嵐のようなホーンセクションは影を潜み 殆んどがシンセで代用されるようになってしまいました FUNKミュージックの売りであるパキパキブンブンの ※スラッピンベースも控えめになってしまい これもシンセ・ベースで代用するグループが主流と代わってきたのです ※当時でいうチョッパーベースの事です チョッパーというのは和製造語で正しくはスラップ、サンピンが世界共通だそうです 下のギャラリーはLATE70's~EARY80'sの一部好作品を並べてみました
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★EUROPIAN FUNK/SOUL ヨーロッパ産のFUNK/SOULです 本家USモノよりもFUSIONJAZZよりの演奏が多く メロディーラインが強いのも特徴です 白人ミュージシャンが多いのもEURO系の持ち味で 洗練された音ながら鋭い演奏を聴かせます イギリスとオランダ、イタリアからのミュージシャンが多く 70年代ではREAR GROOVEとして取り上げられ 80年に入ってからは URBAN DANCE MUSICとしてファン層を広げています 古くは74年「「OLYMPIC RUNNERS」 76年「HEATWAVE」78年の「HI-TENSION」 80年「DELEGATION」「UK PLAYER」「LIGHT OF THE WORLD」 81年「LINX」「FIREFLY」「K.I.D.」 人気定着の82年には「JUNIOR」「CENTRAL LINE」「KANO」の2nd 83年には「DAVID GRANT」「DAVID JOSEPH」「HAYWOODE(12”)」 といったところがフロアを賑わせていました 残念ながら当時は入荷が少ないなどの事情もあり 全てのお店に行き渡らず必然的スルーされてしまった好作品が多いです 当時の新譜事情として 専門店よりも大手のレコショップの輸入盤コーナーなどで 意外にも転がっていました(入手難には変わりありませんが) 現代に至ってはハンター達の格好のターゲットにされてしまい 次々と掘り起こされ市場に出回り高値で取引される構図が出来上がっているようです 廃レコ・マーケットには得体の知れないコレクター盤が増殖してしまい あたかも当時からディスコで流れていたように吹かす輩もいて かなり混沌としてしまっています 当時にこだわる方々は ディスコオンエアアイテムとこういった後期発掘盤との見極めが大切です 思わぬ出費で終わってしまう事に成りかねません 反対にディスコは嫌いだがこの手の音が死ぬほど好きだという方は 達成感や優越感も大きく挑み甲斐のあるジャンルだと思います
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☆OLD SCHOOL(RAP MUSIC) RAPといわれるスタイルで始めてレコードを世に送ったのが FUNK界の重鎮「FATBACK」の’79年作「KING TIM Ⅲ」と言われています 当時はコアなFUNKYフリーク達に人気で踊り捲くられていました しかしブロンクス産の純正ラッパーでありDJとしても名高い 「GRANDMASTER FLASH」がRAP MUSICカルチャーの創始者のひとりです OLD SCHOOL RAPの超古典ものとして知られる 「WE RAP MORE MELLOW/YOUNGER GENERATION」'79のメンバーであって 本格的なRAP MUSIC12”として歴史的価値が高いです その後同’79年にRAPミュージックの12”が色々とリリースされます 日本で大ヒットとなった第一号が「RAPPERS DELIGHT/SUGARHILL GANG」で 有名曲のカラオケを巧みに使ったことがヒットの要因となりました 立て続けに「RHYTHM TALK/JOCKO」が「AIN'T NO STOPPIN' US NOW」という 大ネタを使ってこれもかなりのフロアヒットとなり 後の80年に「THE BREAKS/KURTIS BLOW」 「SHOCK SHOCK THE HOUSE/DJ HOLLYWOOD」 「SUPER WOLF CAN DO IT/SUPER WOLF」 「FREEDOM/GRANDMASTER FLASH & FARIOUS 5」 「THAT'S THE JOINT/FUNKY FOUR+1」 「8TH WONDER/SUGARHILL GANG」 「AT THE PARTY/TREACHEROUS THREE」と立て続けにフロアヒットが生まれ 最先端の音楽として連夜ヘビロテされていた事も手伝ってか RAPミュージックはディスコビギナーにまで浸透して行きました OLD SCHOOL RAPは「PAUL WINLY」「BRASS」 「SOUND OF NEW YORK」といったレーベルが古参であり 中でも「SUGARHILL」と「ENJOY」レーベルが有名かつ老舗であります 「GOLDEN FRAMINGO」や「NEWTROIT」「ALA」といったレーベルも わずかながら当時の専門店に並びました 更に後の「PROFILE」「GRAND GROOVE」「SCORPIO」といったレーベルも 人気曲のカラオケにのせたカヴァーRAPや スポーツ実況をRAPにした「HURT 'EM BAD」などが当時のフロアを賑わしていました しかしBREAKBEATSではなくコピー演奏や インストバージョンを丸々使ったものが主流の時代でした 更にブロンクス系OLD SCHOOLとは違う洗練されたアーバンサウンドにのせた 「FLAKES RAP」「LOVER'S RAP」「IT'S GOOD BE THE KING」などが登場し RAPミュージックは確実にディスコへ浸透して行きました ブロンクス産正統OLD SCHOOLは ALBUMがリリースされているモノは少なく12”が主力です 多くのシティ・サーファー達がこの音源に魅入られ カーステレオに必ずといっていいほど収録されていたものでした 当時の専門店ではこの人気に圧倒されてか80年の秋頃には 「GRAND MASTER FLASH」「FUNKY FOUR+1」のENJOY初期盤など 以前リリースされていたバックナンバーを大量に仕入れていました ディスコの方針によって購入の範囲は異なりますが オンエアされていたRAPはほぼ平均していました 現代の市場ではもっとコアなOLDSHOOLが色々とありますが 当時オンエアされていない後で輸入されたインディーズ・レーベルものが多く 歴史的コレクションアイテムとして超高額で取引されています 因みにコレクションアイテムでは当時は甦りません 1曲が10分前後もある長いOLDSCHOOLをダラダラ流すのは 明らかに「手抜き」DJです 因みに歌詞内容は社会派メッセージの「KURTIS BLOW」 ポルノチックX指定エロRAPで知られる「BLOWFLY」以外 陽気なナンパものやクールな自己主張、皆で盛り上がろう的なやつが多く 今で言う「ペアレンタル・アドバイザリー」的なものはありませんでした 82年「THE MESSAGE/GRANDMASTER FLASH & FARIOUS 5」が本国で大ヒットしてからは HIP-HOPのムーブメントも加速し歌詞の様相が変わってきました ただ私達世代が当時のRAPミュージックに魅了された要因として あの重たいFUNKスタイルな演奏と FUNKYなタイコにラッパといったノン・デジタルな生楽器で奏でるカラオケが 時代の主流音とマッチしていたので受け入れやすかったのだと思います 一般客にも踊り易くノリ易いのもこういった裏付けからです
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■EARLY HIP-HOP(RAP & DJ) サーファーディスコ時代に実際RAP MUSICがオンエアされ HIP-HOPというムーブメントがジワジワと湧き上がって来た事は確かです 但し日本→東京エリアでは82年の後期という微妙な時期にOLD SCHOOLから 進化を遂げたようなサウンドがボチボチとリリースされ始めてきました そして83年に入るとその姿はハッキリとしたカタチで現れて ブラックミュージックの方向性を大きく変えたのであります そのような流れの中でいち早くスクラッチやトリックなど DJターンテーブルパーフォーマンスをレコードにした先駆け的人物がいました OLD SCHOOL RAP人気の立役者「GRANDMASTER FLASH」です 81年春にリリースされた「THE ADVENTURES OF GRAND MASTER FLASH OF~」は HIP-HOPレコードの第一号として今尚光輝いております 彼はラッパーとしても知られていますがターンテーブルパフォーマーDJとして かなり古くからブレクビーツやスクラッチ技を披露していた HIP-HOP DJの先駆者でもありました そんな彼の技を収録したのがこの作品です しかし昔はお店で実際にオンエアするにはかなりの勇気が必要でありました 当時スクラッチやトリック技に免疫のないお客からはブーイングが飛び フロントからも「変な悪戯してるんじゃない!!」とお叱りを受けていました(苦笑) HIP-HOPレコードは83年からが色々と素晴らしい曲が登場してきますが サーファー世代としてはHIP-HOP RAPに関しましては82年までの ご紹介がギリギリのラインと思いまして勝手ながら区切らせていただきます 確かに83年に初期HIP-HOP RAPの秀作が「RUN DMC」を始め多く誕生していますが 時を同じくしての最先端であったHI-NRG.ブーム同様に落陽のサーファー時代より 次世代に延びる後世文化の産物である事を強く認識した次第であります 従いまして深追いはいたしません ★アイテムの性質上12”で紹介させていただきました
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■ELECTRIC FUNK これはHIP-HOP文化から発生した エレクトロニック・ファンクとかテクノ・ファンクとも呼ばれる楽曲です 上記のRAP MUSICのトラックよりBPMが速いのが特長 元々はテクノサウンドの立役者「クラフトワーク」が出発点のようで シンプルなデジタルトラックを基調にシンセを重ね ボイスモジュレーターを駆使するというのが特徴です 宇宙空間をイメージした音作りも多くあります LATE70のディスコシーンではイタリアの超人気プロデューサー 「GIORGIO MORODER」がテクノ・ディスコを作り上げたり ’79年の「YMO」にもその技術は活かされていました 80年に「KANO」というイタリアのダンスグループが テクノ・ファンクというような曲をディスコでヒットさせていました この音楽の真骨頂は後の1982年 HIP-HOP文化の創始者のひとりである「AFRIKA BAMBAATAA」が 作り上げた「PLANET ROCK」という 初期HIP-HOP RAPの名作として未だに称えられる 楽曲で大きく進化を遂げたのであります 「YAZOO」や「THOMPSON TWINS」といったUKのNEW WAVEグループ達も テクノとFUNKのエッセンスを取り込んだ テクノポップという新しい音楽スタイルを完成させ 日本でも1982年にサーファー次世代のディスコフリーク達の人気を得ていました 時代の背景からも 従来のブラック系ダンスミュージックには「もう飽きたと」いうような風潮も強まり 大きなダンスミュージックの転換期が海の向こうから ジワジワと迫り来る時期でもあったのです 「AFRIKA BAMBAATAA」の「PLANET ROCK」は 「TOMMY BOY」レーベルのHIP-HOP時代の幕開けと DISCO&BLACK MUSIC界に新しい風を巻き起こす大ヒットとなり 後の「マイアミビート」や「フリースタイル」なる楽曲の礎となったのは 間違いありません 83年にはヴォイス・モジュレーターを多用した 「FREAK A ZOID/MIDNIGHT STAR」が空前の大ヒットと繋がって行きました 更に後の人気映画「ブレイクダンス」に「ツールド・フランス/クラフトワーク」 「FREAK SHOW ON THE DANCE FLOOR/BAR-KAYS」が挿入曲として 使用された事も当然の成り行きだったのでしょう HIP-HOP文化は音楽だけではなくブレイクダンスも含まれています 特にこれらの音楽に合わせて踊るブレイクダンスは特殊なテクを要するので 一般向けのダンスではありません このエレクトリック系ではHIP-HOP DANCEのひとつである 「ERECTRIC BOOGIE」なる立ち技ダンスがあり マイケルで有名になった「MOON WALK」もこの一端です 変則的なビートに無機な音作りは一般客が踊るには難しすぎて 旬であったHI-NRG.やNEW WAVEで踊り捲くる人が大半であったのも事実です 83年以降ではブレイカーと呼ばれるHIP-HOPダンサー達が アチコチのディスコで常連として存在し 映画「ブレイクダンス」の登場人物達さながらのファッションでお店の一角を占めていました そのブレイカー達のフェイバリット曲として多くのヒット曲が生まれたのも事実です スタイルとカルチャーは異なりますが「サタデーナイト・フィーバー」 「ビッグ・ウェンズデイ」に影響された私達世代を思い起こしてしまいました サーファー時代としましては82年までのご紹介がギリギリの範囲です 初期の「ELECTRIC FUNK」のみ掲載させていただきました ★アイテムの性質上12”で紹介させていただきました
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☆P-FUNK 黒人社会が抱える闇 それに対しての怒りや嘆きが原動力となったFUNK JBやMOTOWNのミュージシャン達が アメリカ社会に対して矛盾や理不尽を爆発させる中 FUNKを聴きながら愉快に笑って人生過ごそうよ的な 発想で創造されたのがP-FUNK 非常にクセのあるミュージシャンが集まっていて ぶっ飛んだ独特な演奏はハマるとヤミツキ 当サーファー時代でもお店とDJによっては良くオンエアされ FUNKジャンキーなシティ・サーファー達を盛り上げていました 90年代くらいからでしょうか P-FUNKを扱ったガイドブックは色々と出されているようで かなり偏執ヲタクな人まで育ってしまっているようです 入門的なFUNKサウンドは見向きもせずに 早々とP-FUNK系レコードを網羅してしまい 他のミュージシャンにそれ同等の音を探し求める人が多いようですが 枯れ井戸に水を求めているようなもので こういったFUNKは彼等だけの専売特許なのです 私はディスコを通じ知ったジャンルで 気持ちよく踊りながらかなり深みにハマッテいきました 踊れる「P-FUNK」を選曲できるのは当時のディスコDJだけでしょう 当時「エンバシー」にいらした大先輩DJ「S氏」は 常連からP-FUNKプレイの名人と慕われてました 「GEORGE CINTON」「BOOTSY COLLINS」の2大巨匠が 直接携わっていない作品をP-FUNKと言えるか 私は大いに疑問に思います サーファー期のP-FUNKを一部ですがチョイスしました モチロン実際フロアで踊っていた作品です 補足になりますが 「未発表」や「紛失音源」などと称す要するに「お蔵入り」の作品も 90年代になってからやたらリリースされていました ちょっと商売っ気丸出しで悲しかったです
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