当時のレコードショップ♪
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この時代のディスコ関連モノとして
忘れてはいけないのがレコードショップ!
サーファー系のディスコフリークにとって
車中でディスコミュージックは必需品!
この当時国内販売の無いLPや12”など
かなり良質な作品がディスコで流れていました
それを置いている専門店の代表格が
六本木「WINNERS」でした
朝5時まで営業していて
どこぞのDJに遭遇する確立は80%以上です
狭い店内がディスコ帰りのフリーク達で
ごったがえしていました(笑)
他に原宿の「MORNING SUN」「MELODY HOUSE」
渋谷では宇田川町にオープンしたての
「TOWER RECORDS」や
ファイヤー通りの「FULL HOUSE」
シブイお店の「芽瑠璃堂」(吉祥寺にもあった)
新宿「WINNERS」「帝都無線」「DISC UNION」
御苑大通り沿いにあった移転前の「CISCO」
吉祥寺「DISK INN」「山野楽器」などが
私の行動拠点でした(笑)
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レンタル(アナログ)
レコード店
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81年頃がピークだったと思います
邦楽・洋楽問わずお世話になった方
沢山いらっしゃる事でしょう
「友&愛」「黎紅堂」あたりが
チェーン展開して人気でした
私はレンタ落ちの特売品を
狙っているクチでした(笑)
中には引越しの寸前にレンタして
そのままドロンする不届き者も
いたようです
貴重盤だと意地でも追跡して
現物の返納と追加レンタ料を
キッチリ払ってもらったそうです(笑)
ここ近年のアナログレコードブームが
無ければCD世代の若者達に伝説として
語る事ができたでしょうね(笑)
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サーファー時代の音楽番組
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サーファー最盛期には洋楽の情報番組は少なく
MTVも誕生前でプロモビデオなどは
期待できない時代でしたよね
ディスコ系の曲を紹介するようなモノは
「SOULTRAIN」以外ありませんでした
それも東京では79年には終了してしまい
「BEST HIT USA」放映はもう少し後でした
そんな寂しい時期に唯一サーファー好みの
曲を流してくれる音楽番組が
「日立サウンドブレイク」で
東京12chで11時くらいから10分枠くらい
平日放送されてました♪
ちょうど現在深夜で流しているフィラー放送に
近く色々な環境映像に雰囲気を合わせて
少しハイレベルな音楽を2曲流していました
私が今でもハッキリ覚えているのが
「STREET LIFE/CRUSADERS」と
「AFTER THE LOVE HAS GONE/E.W. & F.」の
カップリングされた放映で
思わずくいいって観ていました
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人気のマンガ
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サーファー時代の人気少年誌といえば
週間少年ジャンプでしたね
伝説の「Dr.スランプ」「こち亀」を筆頭に
「激・極虎一家」「コブラ」が好きでした
「海の戦士」は80's サーファー漫画の先駆け!
「うる星やつら」「男大空」の少年サンデー
ビッグコミックスピリッツの「めぞん一刻」
「傷追い人」はかなりハマりましたっけ
ヤングジャンプの「ネコじゃないモン」
なんてのも83年頃連載されていて好きでした
モチロン少女漫画も読んでいましたよ
LALAに不定期連載されていた「綿の国星」や
別冊少女コミックの「カリフォルニア物語」は
大変思い出深いです
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当時のバイト事情
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お金持ちの人は関係ない話ですが
この時代もサーフィンするにも
ディスコへ行くのもオシャレするのも
お金が必要でした
夏休み前になると皆こぞって
学生援護会の日刊アルバイト情報を買って
歩合のいいバイトを探すわけです
男性はツアーコンダクターやリゾートディスコの
ウエイター、エストなどサーファー御用達店が
人気あったようです
私は時給380円のファーストフードでセコセコ
働いていたんですよ(笑)
サ店で当時時給500円が相場でしたね
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ガッチャン棒
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サーファー時代の人気ホビー代表は
ルービックキューブが有名です
その翌年あのマンガがアニメ化され
一大ブームを巻き起こしました
その最盛期81年の秋くらいでしょうか
例のベースボールスタジャンを着て
このスティックを持ったサーファーギャルが
激増しディスコの中に持ち込む者が
アチコチに現れたのであります
当然持って踊るのであります(笑)
手に届かない物を摑んで拾ってくれるという
実用性にも優れていて
壊れるまで使い切った方も多いと思います
更に昔「マジックハンド」という
便利ホビーがあったのを思い出してしまいました
しかしこのアイテムでのディスコネタは当時を知る者以外
絶対に解らないコアな出来事です
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SAS
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現役のミュージシャンです
言わずと知れたメジャーグループですが
活動歴が長く時代にそれぞれの世代の方に
思い入れの曲があると思われます
私と同世代の方はデビューからオンタイムで体験でき
おそらく熱烈なファンの方も多いと思います
私が彼らを始めて観たのが
'77年の「甲斐バンド」コンサートの前座でした
まさかオオバケするなんて・・・
その後翌年新宿の某ディスコで夏も終わる頃でしょうか
SLOWTIME直前の盛り上げの仕上げという時に
なんか凄いテンションで始まる
怪しい日本語で歌う曲が流れたのです
それがまだラジオ曲でも流れていないブレイク以前の
「勝手にシンドバット」でした
時のディスコピープル達にはスグに支持されて
瞬く間に大盛り上げラストスパート定番となりました
あの熱狂は異常でしたね
当時無名の日本人バンドを選曲したDJも凄いです
プロモの12”でもあったのでしょうかね?
翌年名バラード「いとしのエリー」が
SLOWTIMEの定番曲となっていた頃には
TV音楽番組でも引っ張りだこで
誰もが知るメジャーグループに上り詰めていました
彼等がサーファーかどうか別として
湘南「茅ヶ崎」出身という事と当時のディスコに
関わっていた事で当時の思い出として
挙げさせていただきました
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