80's SURFER DISCO 70年代後期~80年代初期に栄えたサーファー系ディスコ回顧録。当時の音楽やファッションを徹底検証!

当時のファッションetc


★サーファー時代の社会現象と人気の傾向

このコーナーでは当時社会現象にまでなったトロピカルブームや

人気のサーファー車など洋服やヘアーメイク・アクセサリーなどとは別の

流行モノを探り出していきたいと思います




最終更新(11/01/2010)
ROLLER SKATE

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何でもトロピカル

サーファー⇒海⇒南国というわけで
流行は何でもトロピカル
HAWAIIでもBALIでもLAでも
どこでもいいんです南国っぽければ
ディスコはもちろん喫茶店でもパブでも
「籐の椅子」にパームツリーやバナナ等の
観葉植物があって貝殻、ハイビスカス
パイナップル、インコ等の小物が飾ってあるような
店がいっぱいありました
『ブラスパロットというレストランがあってて店内
インコの置き物だらけインコ好きの私は狂喜!』
お家でもゴザひいてサーフボード飾って
それ風のインテリアにしている人もいましたっけ
お店の名前も「ココナッツOX」とか
「パイナップルOX」「ポリネシアンOX」など
ありましたよね
私はあるポリネシアンパブのトロピカルカレー
(パイン、バナナ、キウイが入っている!)と
アボガドサラダが大好きでした(笑)
当然BGMはブラコンとAORです

トロピカルドリンク

79年の夏
洋酒の名門「サントリー」から「トロピカルハリケーン」
という一大キャンペーンが行われました
デザインロゴが今見てもカッコイイ♪
これがトロピカルブームを爆発させた一因となり
「ソルティ・ドッグ」を始めとする
多くのトロピカルドリンクのが紹介されました
「MAI-TAI」「CHI-CHI」「BLUE HAWAII」等が大人気!
本格的なカクテルバーでは細かいレシピがあって
フルーツがきれいに飾られていましたが
ディスコでは炭酸やジュースを混ぜるだけで
簡単に出来ちゃう便利なリキュール類が大半でした
本来はトロピカルドリンクではないんでしょうが
フルーティーで爽やかってことで
SCREW DRIVER、MOSCOW MULE、FROZEN DAIQUIRI
WINE COOLER、各種FIZZなんかも人気メニューでした
某ディスコで「SALTY DOG」をオーダーしておいて
「グラスに塩がついているじゃないか!」
「洗い直してくれ!!」とマジで怒っている
スゴイ客(オヤジ)を見かけてしまいました(  ̄m ̄)プッ 

「カルーアミルク」今でも人気カクテルですね
当時でも女性専用のドリンクなのですが
カウンターで強引にオーダーしてる男性客を
結構遭遇してしまい蒼褪めてしまいました
カッコイイものではないので家でひっそり飲んでください
79年の「トロピカルハリケーン」では「SWAMP DOG」が
キャンペーンソングに使われディスコでもガンガンと
鳴り響かせていたんです
おかげで 「ソルティ・ドッグ」しかオーダーできない?
塩が付いていると怒るような
変なディスコオヤジが増殖してました(笑)
翌80年には「トロピカルハリケーン80」になって
新レシピも登場していました
正に時代を象徴した思い出深い名キャンペーンと思います

デコイ

この時代インテリアとして
人気のあったのが「デコイ」!
本来は狩猟用のダミーとして使う
精巧に作られた水鳥の木彫りアイテムです
ダウンジャケットの原材料ということもあり
オシャレなお店のインテリアとして
店内の隅に何気に置かれていました
モチロンSURFER系DISCOでも
当時を象徴するかのような
カタチで飾られていましたね♪
「デコイ工作キット」なんてのも販売されていて
手作りされる方もいました
鳥型の照明グッズも人気ありましたね
キングペンギンやアヒル、フラミンゴなんかが
あったと思います

79~80年当時人気の車

理想はワーゲンビートルかゴルフ
またはミニクーパーでした
クリスタル族のシティー派は
BMWかアウディがステイタスシンボル!
国産ではソアラ、シルビアが
女性に人気でした
サーファーの間では
ハッチバックタイプの国産車も
人気で特に赤のファミリアは
シティーサーファー御用達
ナンパの必須アイテム?
だったようです
実際海に行くと波乗り派は
ワンボックスとハイラックスなどの
4駆が殆どで赤ファミリアはなぜか
あまり見かけませんでした(笑)

陸サーファーのエピソードとして
今でも話題にのぼる

ボードを車のルーフキャリアにボルト止めした
軟派サーファーがいるらしい・・・
という噂は本当なのでしょうか?
私も友人も知り合いも誰も
そんな車見たことがありません(笑)
アンチサーファーが仕組んだ

流言飛語かも知れませんね

ダイバーウォッチ

当時の私の愛用品

本格派サーファーとマリンスポーツの
実践派が身に着けるアイテムでしたが
なぜかファッションとして'79年に
大ヒットしました!
セイコー派とシチズン派の方が
いましたよね(ホイヤーは夢)
でも現在のように種類が豊富ではなく
低価格のモノもありませんでした
女性も男性用の重たくてデカイやつを
愛用していたんです
まだ当時学生の私には10気圧モノですら
高嶺の花でおこずかいを数ヶ月貯めて
やっと買えた思い出の品でもあります
自動巻きですよ!ヽ(××ヽ)死語ダヨネー
クウォーツ世代には解らない
ワードでしょうね(笑)

ファラ フォーセット 

70年代後期のカリスマ的スター!
レイヤーの美しいブロンドヘアーは
サーファーギャル憧れの的でした
彼女のヘアスタイルを真似ようと
沢山の女性が挑んでいましたっけ
でも悲しい事に日本人の髪質では
同じ様にはならないんですよね(ToT)
男性にも物凄い人気があり
彼女のポスターが貼っていた方
かなりいたと思いますよ
79年の彼女主演作「サンバーン」は
当時かなり話題になりました
当時のレコードショップ♪

この時代のディスコ関連モノとして
忘れてはいけないのがレコードショップ!
サーファー系のディスコフリークにとって
車中でディスコミュージックは必需品!
この当時国内販売の無いLPや12”など
かなり良質な作品がディスコで流れていました
それを置いている専門店の代表格が
六本木「WINNERS」でした
朝5時まで営業していて
どこぞのDJに遭遇する確立は80%以上です
狭い店内がディスコ帰りのフリーク達で
ごったがえしていました(笑)
他に原宿の「MORNING SUN」「MELODY HOUSE」
渋谷では宇田川町にオープンしたての
「TOWER RECORDS」や
ファイヤー通りの「FULL HOUSE」
シブイお店の「芽瑠璃堂」(吉祥寺にもあった)
新宿「WINNERS」「帝都無線」「DISC UNION」
御苑大通り沿いにあった移転前の「CISCO」
吉祥寺「DISK INN」「山野楽器」などが
私の行動拠点でした(笑)


レンタル(アナログ)
レコード店



81年頃がピークだったと思います
邦楽・洋楽問わずお世話になった方
沢山いらっしゃる事でしょう
「友&愛」「黎紅堂」あたりが
チェーン展開して人気でした
私はレンタ落ちの特売品を
狙っているクチでした(笑)
中には引越しの寸前にレンタして
そのままドロンする不届き者も
いたようです
貴重盤だと意地でも追跡して
現物の返納と追加レンタ料を
キッチリ払ってもらったそうです(笑)
ここ近年のアナログレコードブームが
無ければCD世代の若者達に伝説として
語る事ができたでしょうね(笑)



サーファー時代の音楽番組



サーファー最盛期には洋楽の情報番組は少なく
MTVも誕生前でプロモビデオなどは
期待できない時代でしたよね
ディスコ系の曲を紹介するようなモノは
「SOULTRAIN」以外ありませんでした
それも東京では79年には終了してしまい
「BEST HIT USA」放映はもう少し後でした
そんな寂しい時期に唯一サーファー好みの
曲を流してくれる音楽番組が
「日立サウンドブレイク」で
東京12chで11時くらいから10分枠くらい
平日放送されてました♪
ちょうど現在深夜で流しているフィラー放送に
近く色々な環境映像に雰囲気を合わせて
少しハイレベルな音楽を2曲流していました
私が今でもハッキリ覚えているのが
「STREET LIFE/CRUSADERS」と
「AFTER THE LOVE HAS GONE/E.W. & F.」の
カップリングされた放映で
思わずくいいって観ていました

      
人気のマンガ

サーファー時代の人気少年誌といえば
週間少年ジャンプでしたね
伝説の「Dr.スランプ」「こち亀」を筆頭に
「激・極虎一家」「コブラ」が好きでした
「海の戦士」は80's サーファー漫画の先駆け!
「うる星やつら」「男大空」の少年サンデー
ビッグコミックスピリッツの「めぞん一刻」
「傷追い人」はかなりハマりましたっけ
ヤングジャンプの「ネコじゃないモン」
なんてのも83年頃連載されていて好きでした
モチロン少女漫画も読んでいましたよ
LALAに不定期連載されていた「綿の国星」や
別冊少女コミックの「カリフォルニア物語」は
大変思い出深いです

当時のバイト事情

お金持ちの人は関係ない話ですが
この時代もサーフィンするにも
ディスコへ行くのもオシャレするのも
お金が必要でした
夏休み前になると皆こぞって
学生援護会の日刊アルバイト情報を買って
歩合のいいバイトを探すわけです
男性はツアーコンダクターやリゾートディスコの
ウエイター、エストなどサーファー御用達店が
人気あったようです
私は時給380円のファーストフードでセコセコ
働いていたんですよ(笑)
サ店で当時時給500円が相場でしたね

ガッチャン棒

サーファー時代の人気ホビー代表は
ルービックキューブが有名です
その翌年あのマンガがアニメ化され
一大ブームを巻き起こしました
その最盛期81年の秋くらいでしょうか
例のベースボールスタジャンを着て
このスティックを持ったサーファーギャルが
激増しディスコの中に持ち込む者が
アチコチに現れたのであります
当然持って踊るのであります(笑)
手に届かない物を摑んで拾ってくれるという
実用性にも優れていて
壊れるまで使い切った方も多いと思います
更に昔「マジックハンド」という
便利ホビーがあったのを思い出してしまいました
しかしこのアイテムでのディスコネタは当時を知る者以外
絶対に解らないコアな出来事です
SAS

現役のミュージシャンです
言わずと知れたメジャーグループですが
活動歴が長く時代にそれぞれの世代の方に
思い入れの曲があると思われます
私と同世代の方はデビューからオンタイムで体験でき
おそらく熱烈なファンの方も多いと思います
私が彼らを始めて観たのが
'77年の「甲斐バンド」コンサートの前座でした
まさかオオバケするなんて・・・
その後翌年新宿の某ディスコで夏も終わる頃でしょうか
SLOWTIME直前の盛り上げの仕上げという時に
なんか凄いテンションで始まる
怪しい日本語で歌う曲が流れたのです
それがまだラジオ曲でも流れていないブレイク以前の
「勝手にシンドバット」でした
時のディスコピープル達にはスグに支持されて
瞬く間に大盛り上げラストスパート定番となりました
あの熱狂は異常でしたね
当時無名の日本人バンドを選曲したDJも凄いです
プロモの12”でもあったのでしょうかね?
翌年名バラード「いとしのエリー」が
SLOWTIMEの定番曲となっていた頃には
TV音楽番組でも引っ張りだこで
誰もが知るメジャーグループに上り詰めていました
彼等がサーファーかどうか別として
湘南「茅ヶ崎」出身という事と当時のディスコに
関わっていた事で当時の思い出として
挙げさせていただきました

ステレオヘッドホン♪

時代を代表する大ヒットが
SONYのカセットWALKMAN1号機
初生産は1979年
(オートリバースでない!!)
あっという間に売り切れ状態
情報の乏しい時代でしたので
入手難状態が暫く続きました
やっと流通し始めた翌年には
街に出れば必ず出くわすくらい
物凄い普及率でした
サーファーを問わず多くの若者が
自慢げに本体を腰に装着して
思い思いの音楽を聴いていました♪
屋外のローラースケーターや
通勤途中のウエイターは必需でしたね
この人気と共にディスコのMIX-TAPEも
出回るようになりました
しかし電車内などマナーも取り沙汰され
高音がヘッドホンから洩れるほど
周囲を不快にさせていました
当時音楽に無関心な人から「根暗」の象徴として
皮肉られたのも記憶に残っています
それでも他メーカーから競合品がいくつも発売され
より小型化されたり進化を遂げてきたのです
後継機でカラーリングが選べるようになった
「WALKMAN2」ピッチ付の「PROFFESSIONAL」
までが恐らく私達世代の機種です
その後DAT→CD→MDとメディアも代わり
現代に至ってはデーターファイル化するなんて

当時誰が想像したでしょうか?
今こそカセットテープに感謝


ラジカセ

私達の世代では海やプールの必需アイテム
ステレオタイプの大型機が主流でもありました
電池を詰め込むと非常に重たくなりますが
本当に音楽を必要と思う人は持って行ったはずです
ディスコ派はカセットに最新ヒットと定番曲を入れて
リゾートでのひと時を楽しんでいたものです
しかし現地ではそれぞれの自己主張が繰り広げられ
アチコチで色々なジャンルが飛び交っていました
中には目立ちたがりなのでしょうかね?
異常にでかいラジカセで大音響を響かせる
迷惑な自己チュー野朗もいましたっけ
野郎どもにはナンパの小道具でもあったようでが
流れてくる選曲でセンスがハッキリしていましたので
事前に見透かされていた部分もあったようです
80年代になってからカラーリングが増え
コンパクトで持ち運べるラジカセが増えてきました
それでも電池入れると重い!
ただ海に連れて行くと塩害と砂で内部から
腐蝕が進みワンシーズンでオシャカでした
高級ラジカセでも同じ運命です
やはり潮風や砂を浴びせない事が
長持ちの秘訣だと思います
それでも仲間と好きな音楽を聴き
ビーチでダンスの練習をしたり楽しい時間を
提供してくれた貢献度は非常に高いです
因みに後のHIP-HOPブームの巨大ラジカセとは
時代もスタイルも異なります


ROLLER SKATE
別ページでも取り上げましたように
'79~'80にかけてローラースケートが流行
日本では西海岸ファッションの一部として
メディアが必死に取り上げていました
現代のインラインスケートみたいにハイテクではなく
当時はスニーカーの底四隅にホイールを付けたものが
主流でした
上級者用には皮のショートブーツ仕様もありました
日本よりも米国(ウエストコースト中心)
のほうがヒートアップしていたようで
LAの海岸通りではショーパンのギャルや
上半身裸のニーちゃん達がテクを披露する光景は
名物になっていました
それにしてもあの陽射しは眩しいくらい輝いていました
果てはローラーディスコなるものまで登場して
映画も制作されていたのです
この時期にローラースケートをネタにしたディスコ曲も
かなり多くリリースされています
このローラーディスコですが東京では某歌舞伎町で登場し
当時話題になりましたが一般浸透は難しかったようです
自在に踊れるようになるまでには
専用のリンクに行って充分鍛えてからでないと無理です
通常のディスコでローラースケートネタの曲を
普通に踊るのが精一杯でありました
因みにアイススケートとは感覚が違います
双方どちらかが得意だからといってナメてかかると
恥をかくことになります


SKATEBOARD

意外にも最初に日本で取り上げていたのは
サーファー以前の'77年でした
確実に火が着いたのは翌年に公開された
「ボーイズボーイズ(邦題)」というローティーンの
生態を描いた映画でした
主人公達が操っていたのがこのスケートボードという
見慣れない遊具で自在に操るテクに魅了され
始めた方も多いと思われます
健康的なローラースケートに対して悪ガキの遊具という
イメージがこの頃から定着してしまったようで
現代のBAD BOYスタイルに繋がっているようです
滑走できる場所が無いのも長年の問題です
初期のスケボーは実に単純な作りとデザインで
現行のモノとは比べられません
サーファー時代では原宿ホコ天や駒沢公園で走らせる
スポーツ系のニーチャンが多く至って健康的でありました
女の子のユーザーは少なかったです






おまけ

’81.8.14.湘南
この頃は早起きもさほど辛くなかった!
(*゜▽゜*)
元々色白で焼けにくい肌を
必死で焼いて皮はボロボロ
着てるTシャツは「コンブキッド」!
サーファーの男の子のキャラクターもので
Tシャツ、トレーナーの他
ライター、キーホルダー、キャップ等
色々ありました
スキューバのスタイルになったり
冬になるとスキーヤーになったりする
謎のスポーツ野郎でした

因みに下はD&Sの「サーフボーイ」という
人気キャラクターなのですが
どうなっているのでしょうか?





 
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