サーファーカット
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当時のディスコでのサーファーカット率は 9割以上だったと思います 私も肩までの「聖子ちゃんカット」から ロングに伸ばすまでの間はホントに辛かった(笑) 同じレイヤーカットでも今と違うのは フロントとサイドの量の多さですね サイドの流れが命なのでフロントとサイドに 部分パーマをかけて「くるくるドライヤー」で ブローするのですが 最初はナカナカ上手くいかない(☆_◎;)!
今みたいに色々なムースとかなかったと思います 海に入るとすぐワカメみたいになっちゃうし 本当のサーファーのおネエさんは ストレートヘアだったような気もします
でもホリデーサーファーの私は 日々ブローテクを磨いていたのでありました
当時のカリスマ美容室は渋谷の「クロード・モネ」で
連日長蛇の列でした
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サーフブランド
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当時人気のサーフブランド
本格派サーファー達は
サーフボードやスウェットスーツから
様々なウェアーまで
陸サーファー達はTシャツ&トレーナー等を
拝借して愛用していました
全盛期は街もディスコも総サーファー状態!!
そんな当時活躍したブランドを
思い出せる限り挙げてみました
アナタの御ひいきはありますでしょうか?
タウンアンドカントリー・ディックブリュワー
アイパ・ゴッデス・オニール
ボディグローブ・リップカール
ハンテン・ライトニングボルト
モス・ブラッドショウハワイ
クイックシルバー・エニミニ
ローカルモーション・オーシャンパシフィック
KIKI・セックスワックス・ライフガードetc...
今現在も頑張っているブランドも多いですが
街中で見かける率は少ないですよね・・・ |
航空バッグ
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これはサーファーの流行の中では初期の頃
79年だったと思いますが記憶にある人いますよね?
ナイロン(ビニール)製と布製があって
航空会社のロゴと名前が入ったショルダーバッグです
航空会社はどこでもいいんです(但し英語ね)
チケット所有者やファーストクラスでしか買えないもの
要するに空港内でしか入手出来ないはずでしたが
なぜか?街の雑貨店などで売っているものがありました
しかし流行当時は東京で売っているお店は見つからず
湘南あたりの雑貨屋でやっと見つけた記憶があります
やはりステータスアイテムだったのでしょうか
「私は海外で波乗りして来たのよ」という風にでも
見せたかったのでしょうかね?
ハマトラちゃん達の間では可愛いロゴの「ALOHA」と
トリコロールの「BRITISH」が人気でした
サーファー系は「PAN AM」(今は無き)と「ルフトハンザ」
沖縄人気で「ANA」が多かったです
私は「KLM」と「SAS」愛用していました(笑)
そういえばアフロヘアのファンキーダンサー達も
中にアフロレイキを忍ばせた航空バッグを愛用していました
皆さんはどれを購入されていたでしょうか?
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ディパック
当時の私の愛用品 |
西海岸のファッションを取り入れ
この時代欠かせなかったアイテムです♪
ディパックはサーファー&ハマトラギャルと
キャンパスライフを楽しむ男女は
殆どの方が背負っていましたね♪
テニスやスケーターなどスポーツ実践派の
方々にも必需品でした
「JONES」「CHAMOISU・SPORTS」など
OUTDOOR系のブランドが
人気で女の子は必ずと言っていいほど
ディズニーキャラクターやサーフブランド
のワッペンを縫い付けていたんです
私も通学時の愛用品でした(*^▽^*)
中味に教科書は入れた事はないですが
まだ大事に取っているんですよ(笑) |
アクセサリー
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サーファーコーディネイトに欠かせないのが ハンドメイドっぽいアクセサリー! ハイビスカス、貝殻、ビーズを使ったものが圧倒的! あとサンゴやターコイズ&銀も人気でした プラスティックのバングルをいくつも重ねて するのが流行っていた時もありましたっけ
原宿「ゴローズ」というお店が人気でしたね
でもそういえばこれらって・・・ 今のサーファーファッションでも あまり変わっていませんよね 100円ライターのケースは憶えていますか? パームツリーや海辺のサンセットを描いた 七宝焼風のデザインの入ったカネのケース タバコの横にさり気なく置いてませんでした?
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香り系
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タバコといえばサーファー御用達であったのが
インドネシア産の「ガラム」!
なんとも言えぬ香りを放つ不思議なタバコです 実際この香りを苦手とする女の子が多くいた事実を 未だに知らない元サーフボーイもいるようです 結構キツいタバコなのでかなり無理して吸はなければ ならないというリスクもありました 因みに茶箱の「ガラム」もありまして バリ島帰りのサーファー達が売り捌いていたそうです 「ガラム」以外のタバコではメンソール系が人気でした 国産ではニコチンのキツイ「サムタイム」しか無くて 洋モクだと「クール」と「セーラム」が定番! でも当時はライトとかマイルドなどのバージョンは ほとんどなかったです また売っている所が限られていた上に 当時マイルドセブンが180円だったのに対して 300円もしてたんですよね 媚薬効果のあるコロンとしてディスコの店内を 充満させたのが「MUSK」! ジャコウ系の動物の出すフェロモン効果を抽出し 水に強いという効果がサーファー達に受けた理由です 特に男性陣がこぞって愛用していたのが「JOVAN」! これも当時では女性に好き嫌いが分かれていて(香り) 万能の媚薬と勘違いしていたナンパ陸サーファー達が 男同士でMUSKの香りをプンプンさせながら寂しく帰る 光景を幾度となく目撃してしまいました(笑) 女性には「ウビガン」のMUSKが人気ありました 因みに「BOLT」のMUSKは本物のサーファー達が 早くから愛用していました
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タバコ
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タバコの話題を少し掘り下げましょう
上記と重複してしまいますが
サーファーといえばメントール系がトレンドでした
しかも洋モクの「KOOL」「SALEM」がサーフギャルの基本
コギャルのサーファーは国産の「SOMETIME」で背伸び
でもニコチンが強くハッカ度が薄いのでキツイ
しかもLIGHTやMILDなんてそんなに出ていない時代
サーファー以降のバブル期に向けてはやたらメントールが
発売されていましたが当時は決った銘柄のみで選択は狭いです
私はメントール中毒になってしまい比較的ハッカの効く
「SALEM LONG」や「CARLTON」を愛用していました
珍しがられて仲間から拝借される事が多いのが難でした
そこらの自販や店にも置いていないので切らすと最悪でした
それでも刺激が足らず「メントールの結晶」(憶えています?)
ガラスの小筒に入ったメントール強化用の結晶
まで手を出してしまいフィルターにのせて炙っていました
これも大きなタバコ店にしか置いていないんですよね
流石に今は喫煙もやめて開放されていますが
今こんな事公の場でやっていたら間違いなく通報されて
しまいそうです(違法ブツではありません)
現代では喫煙者が肩身の狭い時代
女子大生やOL達がくつろぎながらプカプカやっていた時代が
遠い幻のように思えます
因みに男性はブンタとマイセンが圧倒的でした
ニコ中気味の人はショッポやハイライトといった
サーファーぽくない?ヘビーモクを愛用していました
当時の国産モクの価格は平均\180-で洋モクは\300-
今やタバコ税が加算され\440-平均の時代です
皆さんは脱喫煙できたでしょうか?
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ポロシャツ
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サーファー~ハマトラ~ニュートラ~
全てに欠かせないアイテムだったポロシャツ
火付け役はラコステ!
本家フランス製・アメリカ製のアイゾッド
日本製とありましたが
結構値が張るモノでして
友人でラコステのソックスのワニさんを
切り取ってポロシャツに付けた人が
いましたっけ!(*゜▽゜*)
因みに私のはフィリピン製でした( ̄◇ ̄;)
人気ブランドを思い出してみますと
トラッド系では
マクレガー・ブルックスブラザーズ・フクゾー
ラルフローレン・ゴードン・BBC
トロイブロス・クルーズ・クロコダイル
スポーツブランドではテニス系で
フィラ・エレッセ・タッキーニ・マジア
マンシング・フレッドペリー・クリスエバート
サーフブランドでは
ボルト・オフショア・アイパ・オニール
ジーンズメーカーではハーフ
といったところでしょうか
カラフルなフレアーパンツやチェックのニットパンツ
ハマトラ系のスカートあたりとの
組み合わせで決まり!でした
新宿伊勢丹のクラブハウスによく行きましたっけ |
エンジェルフライト
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「エンジェルフライト」通称エンフラ
米ボブソン社から出されたニットパンツ
当時の正式名称「エンゼルス・フライト」だそうです
エンジェルフライトについては今更いうまでも
ないですけれど記憶の薄れる前に検証しときます
流行のピークは1981年夏頃迄でした
サーファー時代ではファーラーのホップ・サックと
並ぶ2大必須スラックスでスポーツ派・ニュートラ派で
着こなせる優れものであったのです
発売当初は6色でしたがヒットしてから
中間色などが増え10色になりました
デザインも#61と#71のソフトフレアータイプが
があります
使い勝手の良い紺色を筆頭に茶色
ウエイター御用達の黒
ギャル人気のピンクが多く見かけられました
シャツは中に入れて着るのが基本
べルトはしてない人とヴァレンチノやロベルタあたりの
ブランド品を着用している人がいました
ベルトのループにウサギの毛みたいな白いフワフワの
尻尾のキーホルダーやベルトループにフックするタイプの
キーホルダーに鍵を沢山ぶら下げて
ジャラジャラさせて歩くのが流行っていましたっけ
エンフラのボトムラインはファンキーベルボトムジーンズにも
近いものがあり
多くのファンキーダンサー達も愛用していました
靴はニュートラ系でウエッジソールとトラッドパンプス
マリン&サーファー系でデッキシューズ
ディスコ派ではウエスタンブーツが定着してました
補足になりますがみんな持ってた
サーフブランドの「ウォレット」
ディパックみたいな生地でマジックテープで
止めるお財布です
エンフラにはバックポケットがないので男の子は
薄着の夏場は不便していたようです
フロントの小銭入れにお札を折り曲げてねじ込み
ディスコで汗掻いてお札が汗浸しになってしまい
困った人も多いと思います(笑)
何はともあれエンフラは私達サーファー時代の
偉大なる遺産ですね
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サーフパンツ&ベルト
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LATE70"sサーファー初期を物語るのがサーフパンツ!
ハイウエストなのが特徴です
ヨーロピアンのバギーパンツのようなラインで
フレアになっています
小花の刺繍やレインボーカラーのワンポイントが
入っているものが人気ありました
生地はパイル地からジーンズ、コーデュロイ
綿クレープなどがあって色柄も豊富だったのです
シャツ類は中に入れて着るのが基本!
ひもベルト付きのものが初期タイプで
ループが付いているタイプにはカラフルな
サーファーベルトと言われる網ひも系の
とてもワイルドなベルトをルーズにぶら下げるのが
大流行していたました
夏は真っ黒に焼けたサーフギャル達が
アロハやショートのブラウスに
白のサーフパンツでキメて
街を闊歩していました
ディスコでもそのまま海に直行という
スタイルでボルトのピーサンを履いたギャル達が
気取り無く踊っていたものでした
しかし1年少々でこのパンツは消えてしまい
80年代の声を聞いたと同時に着こなすギャル達も
見られなくなってしまいました
80年代デビューの方には知られざる事情なのは
無理もありませんが
79年という年代はサーファー時代全景を物語るに
とても重要な時代であり
一番サーファーらしい着こなしがあった頃だと思います
しかし一部のステータス系の方々には
品がない、汚いというイメージがあったようで
嫌われていました
80年代になってからは規制されたようなカタチに
なってしまい皆ファッション誌のコピーのようで
特に大学生になってから突然ファッションに
目覚めた人達で溢れていたように思います
同じサーファー世代でも
荒々しい70年代を現役で生き抜いたか
レールの轢かれた80年以降デビューかで
ポリシーやスタイルが大きく分かれてしまうのです
当然どちらに偏ってもサーファー時代は完成しません
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ジャンプスーツ
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初期サーファーからの人気アイテムです
真っ黒に日焼けしたサーフギャルが
ブルーのアイラインと大きなイヤリングで
真っ白な歯を輝かせていましたっけ
モチロン真夏のアイテムでストリートから
リゾートそしてディスコに出没していました
初期はパイル地ものが人気でしたが
アロハ地柄のものが主流と変わってきました
ディスコで友達2~3人で
柄違いのジャンプスーツで決めて
目立ちまくっていたのをよく見かけました
しかし外見の派手さに反してトイレは大変!
通常の倍かかってしまいます
そして現代のように高機能ブラがなく
ノーブラ着用の子が殆んどであったのです
だから私はディスコへは着て行きませんでした(笑)
因みにオールインワンショーツなんてのもありました
さすがにこれはリゾートオンリーでしたね
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人気ブランドベルト
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ニュートラ系には欠かせないアイテム
当時はシャツをパンツにINして
ベルトを誇らしげに見せるのがトレンドでした
中でも「ヴァレンチノ」を筆頭に「ロベルタ」などが人気で
男女問わず愛用されていました
エンフラにもベルトループが付いてましたので
夏場ではTシャツとの組み合わせが
結構流行っていたのです
おなかポッコリでは見るに耐えられません
かっこ良かった頃の体系・・・
今では夢か幻か・・・
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タスキ掛けショルダー
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82年の後期から83年かけて流行ったスタイル
冬の厚着でも夏の薄着でも肩掛け(タスキがけ)で
ショルダーバッグを下げるのがトレンドでした
青系が主流でしたが原色の服に合わせて
派手なカラーのものもありました
この当時でもひと昔の流行を知っていた私は
オカマ時代の「ポシェットや文化屋バッグ」
を思い出してしまいました
雑誌など大きなものが入れられないのが難
両手が常にフリーなのは助かる
ファッションの一部と化していたので
下げたまま踊る子もいて勢いで
中身ばら撒いちゃって
恥ずかしそうに回収していました
DCブランド到来までの短期間流行で
儚いものだったと思います
時代を経て今では男の子達の間で
このようなスタイルが人気のようです
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ウエッジソール |
サーファー時代を象徴したシューズです ニュートラ系の着こなしには必須のアイテム
定番は「イヴ・サンローラン」のジュート巻き!
ペイズリー柄とロゴの2種類がありました
大ヒット商品には変わりないのですが
つま先部分が狭い上にソールが高く
シューズ自体が結構重たいんです
長時間の外出はとても辛かったです
現在で言う「外反母趾」の大敵とも言えますね
当然ディスコで踊るには適していません
コケるは血マメできるはで悲惨です
酔っ払って裸足で踊る子も見かけましたっけ(笑)
これだけ流行ると後にバッタ物も登場していました
現在にも似たような靴を見かけますが
機能性・健康面から考えてもこの歳になってまで
履く気力はおきません
この靴を履いて颯爽と街に繰り出したのは
遠い昔の思い出です
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サーファー時代の
SOULTRAIN&T-シャツ
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78年はディスコブームとヨーロピアン
ファッションの人気が最高潮でした
そんな中で「JUN」が「SOULTRAIN」の
スポンサーに就きまして
東京でも毎週オンエアされていました
女性ダンサー達が扇子にハーレムパンツで
踊っていたのもこの頃でしたね(笑)
日本では「JUN」&「SOULTRAIN」の
コラボT-シャツが爆発的人気で
ヨーロピアン系でもサーファー系でも
ファンキー系でも真夏のディスコを
占領するくらい着用人口多かったです
色のバリーエションが多彩で白地に黒文字
青文字、赤文字や黒地に白文字
そして私が愛用してたのが
金文字のラメ入りでした
参考写真は「シャラマー」の
「ジェフリー&ジョディ」で
ダンサー時代の勇姿です
私達世代としてはこの頃の再放送を重点的に
観たかったです
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ジョギングパンツ
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80年の夏をピ-クに
ファッションとして男女問わず
サーファー&スポーツ実践派な方々に
広く愛用されていました
繁華街でのショッピングから
トロピックパブまで自由気ままです
特にサーファー系のディスコでは
お客の3分の1がジョギングパンツ
という現象もあったんです
タンクトップとピーサンというラフな
組み合わせでその光景は正に
海にある屋外ディスコのようでした
マハラジャ世代には考えられない事でしょうね
でもこんなスタイルが通じたなんて
今お見返してみると熱いものが込み上げてきます
当時のジョギパンは切れ込みが
深くて女性は勇気がいりました(*⌒д⌒*)
私は恥かしかったので家と近所止まりでした(笑)
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トレーナーの着こなし方
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トレーナー・・・今で言うスウェットの事です 敢えてトレーナーと表現させてもらいます(笑) パーカーを下に着て上にトレーナーやスタジャン Gジャンを着てフードだけを外に出すのとか トレーナーの下から裏地使いのシャツの裾を出すとか トレーナーを腰に巻いて結ぶのとか肩からかけて 結ぶのとか色々ありました トレーナーって私の記憶だと昔は裏が タオルみたいになっているのしかなくて この頃初めてMADE
IN
USAモノで裏がフワフワした 起毛タイプのものを見たような気がするのですけれど どうでしょう?
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スキッパー
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トレーナーといえばこの当時トラッド系の アイテムでスキッパーという名前の 襟付きトレーナーも流行っていました 皆さん憶えているでしょうか? 男性はタータンチェックのアイビーパンツと 併せて着こなしてましたっけ 女の子はハマトラの秋バージョンで 大変活躍していました
赤・ピンク・ブルーあたりが人気で白襟に
ラインが入ったモノが多かったと思います 白襟モノはファンデーションが 付着してしまうので脱ぎ着時は 慎重になっていました(笑)
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フード付スタジャン
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これはたしか81年の秋頃が ピークだったと記憶しています 普段は後ろから見ると肩の部分から 羽根のように開いていて 独特の美しいラインを描いていました フード部中央にファスナーがあって 通常は割れていますが 閉じると防寒フードに早変わり! トラッド系のアイテムですが ブーツカットジーンズや コーデュロイパンツとの組み合わせでも よく利用されていました これを着ると必ずフードにイタズラする 不届き者が身内にいませんでした?(笑)
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